大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)3408号 判決 1970年5月30日
原告
荒田悦子
被告
日本ケース株式会社
ほか一名
主文
一、被告らは各自原告に対し、金三、七五一、八八〇円および内金三、四五三、六〇五円に対する昭和四三年六月二八日、内金二九八、二七五円に対する昭和四四年一二月四日から右各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三、訴訟費用は二分して、その一を原告の、その余を被告らの負担とする。
四、この判決は一項にかぎり仮に執行することができる。
五、ただし、被告らが各自原告に対し、金二〇〇万円の担保を供するときは、それぞれその者に対する右仮執行を免れることができる。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、原告
被告らは各自原告に対し、金六、三〇一、二三〇円および内金四、八〇三、六〇五円に対する昭和四三年六月二八日(訴状送達の翌日)から、内金一、四九七、六二五円に対する昭和四四年一二月四日(請求拡張の翌日)から右完済まで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言。
二、被告ら
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
との判決。
第二、当事者の主張
一、原告、請求原因
(一) 本件事故発生
とき 昭和三八年七月一六日午後二時三〇分ごろ
ところ 大阪市東成区南中道町二丁目五四番地
事故車 普通貨物自動車(大四も八五八九号)
運転者 被告岸
態様 原告(当時七才)が東から西へ道路左側を歩行中、事故車が時速二〇キロメートルの速度で同方向に進行し、自車左前部で原告と接触して、はねとばし路上に転倒させ、その右下腿部を轢過した。
受傷 原告は右下腿挫創、脛骨複雑骨折の傷害をうけた。
(二) 帰責事由(民法七〇九条、自賠法三条)
1、被告岸は、前方約五・八メートルの道路左側に歩行中の原告とその姉(当時九才)の姿を認めていたが、児童は不測の行動に出ることが予想されるから、その動静に注意し、警音器を吹鳴して警告し、徐行して進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と時速二〇キロメートルで進行したため本件事故を惹起した。従つて被告岸には前方不注意、徐行および警笛吹鳴を怠つた過失がある。
2、被告会社は事故車を所有し、本件事故当時自己の営業のため使用人である被告岸に運転させ運行の用に供していたものである。
(三) 損害
(本件は原告の後遺症状にもとづく損害請求である。)
原告は前記受傷のため右下腿外傷後瘢痕れん縮、右足関節拘縮、尖足状、脚長差右一センチメートル長く、右踵着地不可能で歩行困難の後遺症がある。
(治療経過)
(1) 昭和三八年七月一六日 昭和三九年三月二九日、中本病院入院
(2) 昭和四〇年八月五日~同月一七日、同病院入院
(3) 昭和四二年八月一四日~同年一〇月二八日、関西労災病院入院
(4) 昭和四三年七月八日~昭和四四年五月三日、同病院入院
(5) 同年七月末日~同年八月一六日 同病院入院
他に同病院および中本病院に通院合計一六回
1、療養関係費 金一、一五一、二三〇円
入院治療費等 三七二、四三〇円
入院雑費(交通費を含む。) 二一二、四〇〇円
三〇〇×七〇八日(入院日数)
付添費 五六六、四〇〇円
八〇〇円×七二四日(入通院日数)
2、逸失利益 内金一〇〇万円
(1) 月収二万円 (労災大臣官房統計調査部、昭和四二年度中卒女子の月間支給額二〇、一〇〇円)
(2) 稼働年数 一八才から六一才まで四三年間
(3) 労働能力喪失率 四五%(身体障害等級表に準拠、八級)
(4) ホフマン式により計算、約二、〇七四、〇〇〇円
3、慰藉料 金四〇〇万円
これまでの治療経過、後遺症による将来の手術、加療の必要性を考慮に入れ、現在一三才の女子である原告が、就職結婚その他社会生活に経生精神的苦痛をうけることは必定である。
4、弁護士費用 金五〇万円
(四) 損益相殺
原告は、被告会社から治療費等として金三五万円を受領した。
(損害額合計金六、三〇一、二三〇円)
二、被告ら
(一) 請求原因に対する認否
本件事故発生は、受傷を除き認める。受傷は不知。
帰責事由1、は争う。2は認める。
損害額はすべて争う。
なお入院実通院日数は認める。療養関係費、慰藉料については、後記示談成立後(昭和三九年一〇月一〇日以降)のものに限定すべきである。
損益相殺は認める。
(二) 示談の成立
被告会社と原告の父母との間に、昭和三九年八月一一日本件損害賠償として、被告会社が金三五万円を支払う旨の示談が成立し、被告会社は同年九月一五日金一五万円、同年一〇月一〇日金二〇万円を支払つた。その当時原告は右足の筋肉硬張、神経まひ、右足の傷痕、脚長差の症状があり、将来数回の整形手術をなす必要があること、手術によつても傷痕、脚長差が完全に除去し得ないこと、後遺症による将来就職、結婚に障害となる事情について双方が確認のうえ、将来の整形手術費用および慰藉料について示談がなされたのである。
(三) 時効の抗弁
かりに右示談の効力が認められないとしても、本件損害賠償請求権は、損害が確定した昭和三九年五月一四日から三年間経過した昭和四二年五月一四日をもつて時効により消滅したから、被告らは本訴に右時効を援用する。
(四) 過失相殺
かりに、右(二)、(三)の主張が認められないとしても、本件事故の発生について原告にも過失がある。すなわち被告岸は大阪市東成区南中道町二丁目の交差点の直前で一旦停車したとき、前方約一五メートルの歩道内を原告が女の子と手をつないで歩いているのを発見したので、発進後時速二〇キロメートルの低速で原告らの動静に注意しながら西進し、原告が手をつないでいるので自車の進路上に飛び出すことはあるまいと考え警笛を吹鳴しなかつたが、二、三メートルに接近したとき、原告がいきなり自車の進路上に駈け出してきたため、急停車の措置も及ばず、事故車の左前部が原告に接触した。事故車が急停車するまでの空走、制動距離を考慮すれば、接触は避けられず、原告は当時小学校二年生とはいえ、横断歩道でもないところを後方から進行してくる自動車の有無も確めずに、車道上に駈け出た点に不注意があり、その過失は大きい。
三、被告の抗弁に対する原告の答弁
被告の抗弁はいずれは否認する。
(一) 示談について
原告は、被告会社との間で示談書を作成し、被告会社から金三五万円を受領した。これは被告会社から自賠保険金を請求するため必要だからとの申出があつたので、保険金の入手するのに協力したにすぎない。従つて被告らが主張する内容の示談契約が成立したものでない。
かりに示談が有効に成立したとしても、当時原告は、入院中の中本病院から簡単に治ゆする見込を聞き、問合せていた整形外科医から将来整形手術に必要な費用は五万円程度とうかがい、前記の後遺症については予想もしていなかつたし、被告会社も同様であつた。それ故右三五万円の金額で生涯の不具者となつた後遺症による損害賠償を含み示談契約をしたとは到底考えられず、右の予測しえた範囲で治療費五万円、慰藉料三〇万円として示談したものである。
(二) 消滅時効について、
本件は後遺症にもとづく損害の請求であり、時効期間は進行していない。すなわち原告に後遺症があることが分つたのは、昭和四二年春ごろからで、変形、拘縮状態が目立ち、同年八月に関西労災病院に入院不能の後遺症であることが明らかになつた。原告としては、それまで後遺症にもとづく損害を知らず、損害賠償請求権を行使することは不可能であつた。民法七二四条は、同法一六六条の特則として、右のような場合消滅時効が進行しないものとして被害者を保護しているのである。
(三) 過失相殺について
原告は、一才年上の姉と手をつなぎ、道路左側の白線付近を三〇センチメートル程度左右に出入して跳びながら進行していたのであるが、被告岸は子供を見れば赤信号が出たと思えという自動車運転者の鉄則を無視して漫然と進行したため、本件事故に至つたのであり、原告は過失はない。そうでないとしても、原告の過失は軽微である。
第三、証拠〔略〕
理由
一、本件事故発生は原告の受傷を除き当事者間に争いがない。〔証拠略〕によると、原告は本件事故により右下腿挫創、脛骨複雑骨折の傷害をうけたことが認められる。
二、被告岸の責任
〔証拠略〕によると、次の事実が認められる。
本件事故現場は普通トラック二台が通行しうる幅員(約七、八メートル)程度のアスファルト舗装された直線、平たんな東西に通ずる道路上の南側である。現場付近は住宅、商店等が密集し、東方には小学校があり、通行人も少くない。前方の見とおしはきくところであるが、幹線道路でなく、歩車道の区別なく小さな交差点が次々とあつて、車両が速度を出して進行しうる所でない。
被告岸は、現場のすぐ東側の交差点で一旦停止してから事故車を発進したのであるが、停止中に前方道路左(南)側の路肩から約一ないし一・五メートルあたりに原告(当時八才)とが手をつないで進んでいるのを認めていたが、別に危険も感じていなかつたので、警笛を吹鳴することなく進行した。
しかし原告は姉と跳びはねながら(スキップ)前進していて、横に跳んで道路中央側へ出た途端、時速約二〇キロメートルの速度で進行して来た事故車の左前照灯付近に接触された。被告岸は原告が横跳びしたのを見て直ちに急ブレーキをかけたが及ばなかつた。事故発生時には対向車両はなかつた。
右証拠中、認定に反する部分は措信せず他に右認定を動かしうる証拠はない。
右事実によると、被告岸は原告らが跳びはねている状況を十分注視すれば、それに応じて事故車を右側へ寄せ、警笛を吹鳴しつつ徐行することができ事故を未然に防ぎえた筈である。もつとも原告が事故車の進行過程との関係でいつから跳びはねていたのか明らかでないが、かりに事故車が迫つてくる直前になつて横跳びしたとしても、被告岸は子供が不測の行動に出るおそれを考慮して、原告のすぐ右横を通過することなく、警笛を鳴らして徐行して進行すべき注意義務がある。これは現場の周囲の状況、住宅等の密集した地域、道路幅の狭さ、学校が近いこと、当時対向車両がなかつたことを考えても肯認されるであろう。しかるに被告岸は、発進後まもなくであつたため速度こそ出ていないが、右注意義務を怠り漫然と進行した過失により本件事故を惹起したのであるから、民法七〇九条により右事故から生じた原告の損害を賠償すべき責任がある。
三、被告会社の責任
被告会社は事故車を所有し、これを自己の営業のため運行の用に供していたことを自認しているので、運転者の被告岸に前記過失がある以上、自賠法三条による賠償責任がある。
四、示談の成立およびその効力について、
(一)、〔証拠略〕によると、昭和三九年六月ごろから原告の父荒田嵩は、被告会社の社員沢井清太郎を相手に数回本件事故について示談交渉をなし、将来の治療費等および慰藉料として合計五〇万円を要求したが、結局示談金三五万円と、治療費付添費、マツサージ料は別に被告会社が支払うことで話がまとまり、金三五万円を受領してから、一切解決済として同年一〇月一〇日示談書に捺印したこと、当時原告の受傷部分は、治療経過が良効で治ゆしたものとみられ、ただ将来傷痕部分の整形手術を要することが予想されていたので、示談に際して原告の母が沢井と共に、大阪市内の白壁整形外科を訪ね手術の時期、手術に要する金額を尋ねたところ、手術は数年先でよく、手術費は五万円程度と聞かされたことが認められる。
右認定に反する荒田嵩、荒田福枝の尋問の結果の一部は信用できず、他に右認定を妨げる証拠はない。
ところで原告は示談は保険金入手のために協力したにすぎないものとその成立を否認するが前掲沢井の証言では被告会社が保険金の受領をうけたことが認められ、前記示談書がその請求のため用いられたことを推認しうるけれども、乙一号証によると、荒田嵩が被告会社宛に手紙で出して示談を求め、示談金額まで明示しているのであり、保険金請求のためだけでなく、原告側でも明らかに示談する意思を有し、その時点では納得して示談書を作成しているのである。
(二)、従つて前記認定事実によると、示談は有効に成立したものといわねばならないが、その効力について示談当時は原告の症状がそのままの経過により治ゆする見込の下に、ただ将来整形手術の点を予想し(その手術費用は別にして)これを含くめた慰藉料を定めたものであるから、示談後に予想外の事情の変更があつた場合には、その示談によつて影響されない。
〔証拠略〕によると、原告は示談当時右足の創面も治り瘢痕もさ程でなく、左右の太さも変らず、治療をうけていた中本病院でも昭和三九年五月一四日に治ゆしたと診断したこと。しかしその後昭和四〇年八月五日、右下腿部の瘢痕れん縮がひどくなり、足関節の運動が制限され、いわゆる足が細くなつてせん足状となつてきて、再度中本病院に入院して、アキレス腱伸展手術をうけ、ギブスをはめ同月一七日退院し、その後もしばらく通院したこと、さらに昭和四二年八月、翌四三年七月から関西労災病院に入院して右下腿筋の挫減、拘縮によるせん足を治療するため右同様の手術と値皮手術をうけ、今後も骨の成長と皮膚成長との不均衡、せん足の再発、醜状の改善について五年間にわたり年二回、各二週間の入院と手術を必要とすること、現在右足関節はその用を廃したものに近く右足より一センチメートル長く、右踵を着地することや長く歩くことはできず右足のひどい醜状も回復は不可能であることがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。右事実によると、示談時には軽度の瘢痕が残ることを予想していたものの、その後の右足れん縮による症状は全く原、被告側とも予想外のことであり、本件について示談後の事情による損害の請求については、示談がなされたことをもつて拒むことはできず、被告の抗弁も示談前の損害についてその理由があるにすぎない。
五、時効の抗弁について
原告は、昭和三八年七月一六日事故発生後、示談をしたころには、まだ現在のような症状や後遺症が出ることを予想しておらず、それが明確になつたのは前記のとおり昭和四〇年八月五日中本病院へ再入院してからのことであるから、その時に損害の発生を知つたものというべきで、消滅時効はこれから起算され、本訴提起が昭和四三年六月一二日であるから、その時までにいまだ消滅時効は完成しておらず、被告の抗弁は採用することができない。
六、損害
1、療養関係費 合計金八一四、八五〇円
原告の入院期間については、当事者間に争いがない。
入院治療費 金三六八、二五〇円〔証拠略〕なお、中本病院分に個室使用料が含まれているが、原告の症状、年令、短期間である事情から認めて然るべきものである。
入院雑費 金一二一、八〇〇円
入院雑費として一日三〇〇円程度を必要とすること顕著な事実であるからこれを示談後の入院日数四〇六日に乗じたものを損害と認める。
付添費 金三二四、八〇〇円
原告の入院中、原告の母または近親者が付添つていたので、一日八〇〇円として、四〇六日間の損害である。〔証拠略〕
2、逸失利益 認めない。
原告本人尋問によると、原告は右足首が曲らず、日常生活に不便をきたしているが、現在中学校にも通学しており、歩行も松葉杖を使わずに何とか歩いていることが認められる。将来就職するについて職種の制限はある程度ありうるが、上肢の障害程ではないと考えられ、自己の努力によつても高い収入をあげうる職業につくことも可能である。従つて、慰藉料算定について考慮するも逸失利益としては認めない。
3、慰藉料 金三五〇万円
前記示談成立後の原告の症状、入通院期間、今後なお数年治療を要すること、後遺症となる足のひどい醜状、せん足状態(自賠障害等級八級)、将来原告の就職、結婚等に影響があり、特に結婚について支障となることその他諸般の事情を斟酌したうえ、原告の肉体的精神的苦痛は甚大であり、これを金銭に見積ると金三五〇万円が相当である。
七、過失相殺
前記二に認定した事実からすると、事故現場の道路は歩車道の区別のない道路であるから歩行者は右端を歩行し、車両の前に出るような行動は慎まなければならないのに、原告は当時七才で幼いとはいえ事故車の左前に跳び出た状態となつたために事故に遭遇した。従つてその状況からすれば、原告も後方からいつ自動車が進行してくるかもしれないのに跳びはねて(スキツプ)いたので、不注意があつたことは認めざるをえない。その過失は被告岸の過失と対比して二割とするのが相当である。そうすると示談前のものは関係なく、前記六の損害額から算出すると金三、四五一、八八〇円となる。
八、損益相殺
原告が被告会社から金三五万円を受領したことは当事者間に争いがないが、弁論の全趣旨から右金員は示談金であるので、示談後の損害について認めた本件では控除すべきものでないことになる。
九、弁護士費用 金三〇万円
(弁論の全趣旨、認否額、事案の難易等)
一〇、結論
よつて、被告らは各自原告に対し金三、七五一、八八〇円および内金三、四五三、六〇五円に対する昭和四三年六月二八日から、内金二九八、二七五円
(拡張分、療養関係費八一四、八五〇円×〇、八から当初請求分三五三、六〇五円を控除したもの)
に対する昭和四四年一二月四日から右各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、右限度において本訴請求を正当として認容し、その余を失当として棄却することとして訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行および同免脱の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤本清)